盟友矢口博康さんから連絡があった。「すごく音の良いソロアルバムを作りたい」という。
最初からSACDでの発売を考えているらしい。二つ返事で快諾する。

タイトル数が増えたとはいえ、多くのSACDは過去の音源のリマスタリングだ。数少ない新作
も、アナログレコーディングだったり、デジタルレコーディングだったりと、玉石混交の様。
ポップスにも、本格的なDSDレコーディングのソフトが欲しいと考え、Pyramixという新しいDAW
(Digital Audio Workstation)に興味を持って調べていた。
クラシックやジャズの一発録音なら、DSDのレコーダーがあれば事足りる。しかし、ポップスに
於いてはダビングやパンチインが常識であり、制作費の少ない昨今では、コンピューター内で
作業を完結させるDAWが不可欠と考えていい。

すなわち、
1.DSDデーターをマルチレコーディング、パンチインできる
2.コンピューター内部でDSDミックスが可能
3.EQやコンプレッサーなどの音色加工もできる
4.さらにDSDマスタリングも可能
こんな資質を備えたDAWが必要だったのだ。

今回使ったPyramixというマシンが画期的なのは、「世界初のDSDマルチレコーディングDAW」
という点だ。Windowsベースで動作するというのが不満だが、1〜4の全てを実現する唯一のマ
シンである。扱うデーター量が膨大な為、現在の最高トラック数は16chとなっているが、やりくり
しながらポップス作品を完成させるには十分な数字だ。世界に2台しかない16chバージョン、し
かもレコーディングに使用されるのは、おそらく世界初。それを操る僕はアンチWindowsだ。不
安要素だらけのセッションだが、何となく予感があった。「凄い音が出るに違いない。それも今
までにない質感で・・・。」

果たして予感は現実となり、「さよならtoday」はSACDというフォーマットの高いポテンシャルを
示す仕上がりとなった。これを聴かずして、SACDを語る無かれ。


 Recording & Mix down

図1はミックス時のブロックダイアグラムだ。16chのDSD信号はコンピューター内部のDSPで
ミックスされ、リバーブなどのエフェクト成分だけがアナログ信号に変換されてからプロセッシン
グされる。この方式なら自社のSTRIP STUDIOでの作業が可能になるし、シグナルがアナログ
コンソールを経由しないため、純粋なるDSDミックスの音を聴くことができる。

レコーディングは、
01.フェリーニ式マンボ
03.Don't you honey me
09.運命と偶然
10.Ninja
ARTWORKS STUDIO にて、SSL console経由Protools HD 192kHz/24bitレコーディングだ。
Pyramixが間に合わなかった為、Protoolsでレコーディングした。聴いてもらえば分かると思う
が、DSDレコーディングの曲とは、非常に興味深い違いが現れている。マスタリング時のEQ処
理も過去に類を見ないものだった。細かいコメントは他の機会に譲るが、この違いを検証しあ
うのも一興ではないだろうか。

04.海の日の少女−A menina que nasceu no dia do mar
06.レクイエム
08.がんばれハル
パーシモンホール にて、Focuslite,Universal audioなどのHA(head ampの略、マイクプリアンプ
の事)を使い、PyramixでDSDレコーディングされた。ブースが無く、W.BassやSaxも同室での録
音だ。当然「カブリ」が発生するが、それはそれで処理してみた。一風変わったアンビエンス感
が聴き取れるだろう。

02.Money Jangle
05.It's good to say sayonara
07.Mascara Maracas
11.永遠に存在する忍耐強い惑星
12.鉄の船
STRIP STUDIOにて、パーシモンホールと同じHAを使い、ドラムレスの編成をDSDレコーディン
グした。基本はブースとコントロールルームを使い、セパレーションの取れた録音。「Mascara 
Maracas」は演奏のやりやすさを優先して、コントロールルームにW.BassとSaxが同室しての録
音だ。

3回のセッションは、それぞれ異なる方式で録音されているので、共通する要素を感じることが
あれば、それがすなわちDSDの特徴と思っていいのではないか。僕は今回のセッションを通し
て、「立ち上がりの自然さ」と「空間再現性の良さ」を感じていた。しかし、本当の特徴は中低域
にあることを、マスタリング作業時に思い知らされる。



図2はマスタリングのブロックダイアグラムだ。このようなスタイルを採用しているDSDマスタリ
ングスタジオが他にあるかどうか知らないが、これはマスタリングエンジニアの小泉由香が、日
頃からCD用に愛用している方式だ。まず余程のことが無い限り、通常のCDは、この方式でマ
スタリングされている。 
コンプレッサーを使わなくても音圧を高める神業EQが必要だが、圧縮感のない仕上がりは、デ
ジタルコンプなどとは全く違う感触を聴かせる。Pyramixの内部EQを使ってフルデジタルによる
マスタリングも考えたが、慣れないEQによる完成度の低下を考慮し、今回は日頃と全く同じ方
式を採用したのだ。emm Laboのコンバーターの音質が優れているからこそ、採用できた方法
だと言える。
この方法でDSDレコーディングされた素材をマスタリングし終え、残るはProtoolsで録音された
素材のマスタリングだ。ところが、ここでちょっとした事件が起きる。2種類の素材が全く馴染ま
ないのだ。DSDの方が抜けよく感じてしまう。僕も小泉も、「高域に問題がある」と認識して対策
している。しかし全く馴染まない。
1時間ほど経過した頃、急に音が似始めた。小泉の操作するEQを見ると、200Hzとか1 kHzな
どの帯域がブーストされている。「そんなEQありなの?」「でも、似てますよねえ。」
結果が全てだ。かのGeorge Martinも言っている。「耳こそ全て」だと。192 kHzで録音された
Protoolsの音は、高域に関しては十分なレンジを持っていたのだ。違いは中低域にあった。こ
の帯域こそが、レンジ感や広がり感を握っていたのだ。おそらく量ではない。ある程度の予測
は付いているが、確証が無いので発言は控えよう。
ところでProtoolsの名誉の為に言っておくが、決して悪い音ではないのだ。相性の問題も大き
いと思うし、コンバーターの値段が240万円対50万円では、比較するのが酷というものだ。今回
使用したemm Laboのコンバーターは、最新バージョンでは96kHzのPCMにも対応しているとい
うので、次回作ではまた違った結果となるだろう。

ちなみに今回のハイブリッド盤は、CD層の音も大事にしてある、とはいえ、まるまる2枚分のマ
スタリングをするのは無理だし、無駄でもあると思う。通常はSACD用のマスターを完成させ、
そこからデジタル上でダウンコンバートするようだ。この「通常の方法」も試してみたのだが、僕
達の耳には「高域の成分は残りやすいが、中低域が決定的に不満」と聴こえた。そこでemm 
LaboのDAコンバーターからSTUDER D-19という「中低域の質感がしっかりしているAD」に送
り、PCM44.1kHz /16bitのCD用マスターを製作している。ここまの行程と同じように、RCCや
ATELIER esの高音質化技術も盛り込んだ。CD層も、けっこうなサウンドになったと自負してい
る。

さあ、とにかくFINEQ初のSACDができあがった。僕自身の満足度も高いし、矢口さんもRCC西
野さんも喜んでいる。コンピューターごとPyramixを貸し出してくれたDSP Japan、emmのコンバ
ーターを都合してくれたSONYなどの協力があって、初めて完成に漕ぎつけることができたアル
バムだ。この恩は音で返すしかないので、自然に力が入る。スタジオに取材に来ていた
PROSOUND取材陣の皆さんも含めて、皆が大喜びしている様子を見て、やっと一安心している
今日この頃だ。


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